今年の五穀豊穣(ほうじょう)に感謝し、来夏世(くなつゆ=来年の夏)の豊作を祈願する四ヶ字(しかあざ=石垣市石垣・登野城・大川・新川)の豊年祭が7月21日・22日、行われた。同祭は八重山最大の豊年祭で、多くの市民や観光客が見物に訪れた。
21日のオンプールは各字の御嶽で行われ、神司(かんつかさ)が神前に米や酒などを供え、儀式による祈願や各団体による奉納芸能などが行われた。
22日のムラプールは、新川にある真乙姥御嶽に四ヶ字が集結。各字や団体の旗頭や芸能が奉納され、女性たちによるアヒャー綱でクライマックスを迎えた。
豊年祭を終え、会場を同御嶽から西側に200メートルほど場所を移して行われたのがツナヌミン。新川字会から今年選ばれたのはなぎなたを持つ東の大将、伊良皆高博さん、鎌を持つ西の大将、入嵩西正仁さん。1カ月前に大役が決まり、「毎日2時間練習してきた」という。
アヒャー綱が終わる午後6時ごろ、化粧が始まり着付けまで1時間半かけて準備。「伝統を重んじ、先輩方から引き継いできた大役を果たしたい」と話した伊良皆さんは、クワガタの角を模した「サシマタ」を頭に付けると顔が一団と引き締まった。
演舞を指導してきた入嵩西敦さんは「2人の息がようやく合うようになった。あとは練習の成果を本番で生かせるか。台風を払いのけるように演じてほしい」と化粧を手伝いながら話した。
午後8時過ぎ、辺りが暗くなりいよいよ出番が訪れた。3畳ほど板の上に乗った武者が、たいまつに照らされ東と西から徐々に近づく。板が合わさるといよいよ5分に及ぶ勇壮な演舞が始まり、群衆は指笛を鳴らして盛り上げた。
幻想的な演舞が終わると一斉に走って東西に分かれた。伊良皆さんは「無事にけがなく終わって良かった」と目に涙を浮かべた。
続いて大綱引きが行われ、「エイショ、エイショ」と全長100メートルもの綱を互いに引き、興奮のうちに2日間の幕を閉じた。
会場に訪れていた友利遥太くんと玉那覇航矢くん(以上、石垣中1年)は、「自分も太鼓で参加したことがある。旗頭の頭を近くで見たら、大きくて迫力があった。ツナヌミンは格好良かった」と感想を話した。