琉球王府時代の「のろし」を再現-竹富町の7島と石垣で検証リレー

波照間島は琉球列島の最南端に位置するため、海上監視の要所だった。(写真=波照間島のコート盛)

波照間島は琉球列島の最南端に位置するため、海上監視の要所だった。(写真=波照間島のコート盛)

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 宮古・八重山に残る「先島諸島火番盛」が国指定史跡になったことを機に、「火番盛」の機能を検証し、島々のつながりを再確認しようと「烽火(のろし)リレー」が11月8日、竹富町の7島(竹富島、黒島、小浜島、新城島、鳩間島、西表島、波照間島)と石垣島を結ぶルートで行われた。主催は竹富町教育委員会。

 火番盛は1644年(琉球王府時代)、烽火制度により設置された通信施設で、海上を航行する外国船などを監視し、「のろし」をあげて石垣島にある王府の出先機関「蔵元」へと伝達する。火番盛は「遠見台」とも言われ、見通しのよい丘の上などに琉球石灰岩を積み上げて作られた。

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 リレーは波照間島・コート盛から新城下地島・中森(波照間ムリ)、新城上地島・タカニク、黒島・プズマリ、竹富島・小城盛から石垣島(浜崎町船着場)のルートと、鳩間島・中森から小浜島・大岳、竹富島・小城盛から石垣島の2つのルートで行った。

 機能の検証は各火番盛が煙の確認時刻や点火の時刻を本部へ報告。本部で情報を集約し各火番盛に確認する方法で行われた。

 当日、石垣島付近の天候はあいにくの曇り空で島によっては雨だった。そのため波照間島・コート盛からのルートでは、新城下地島から波照間島の「のろし」を確認できなかった。新城上地島では下地島からの「のろし」を確認し点火。黒島では近くにある新城上地島の「のろし」を確認できなかったが遠方の下地島からの「のろし」は確認できた。竹富島では黒島の「のろし」を確認し点火。数分後には石垣島から竹富島の「のろし」を確認できた。悪条件の中で肉眼でも良く見え、本部の関係者たちから大きな拍手と歓声が上がった。

 鳩間島・中森のルートでは、小浜島から鳩間島の「のろし」は確認できなかったが、竹富島から小浜島の「のろし」は確認できた。石垣島では小浜島と竹富島の「のろし」を確認できた。石垣島で「のろし」を確認すると、西表島の節祭で登場する狂言「パチカイ(早使馬)」による報告が行われた。また各地では小学生、中学生が「のろし」の確認や点火作業を見学した。西表島の竹富町立交流センターからは波照間島、下地島、上地島、黒島の「のろし」が確認できた。

 竹富町教育長の慶田城久さんは「始めはどうなるかと思ったが、きちんと確認ができて良かった。のろしを見つけるのに苦労したが、昔の人々は目が良かったというのがわかる。文書で読むだけではなく、このような検証で子どもたちに知ってもらえれば」と話す。