石垣市の中山義隆市長は11月28日、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当の鈴木俊一大臣を訪ね、聖火リレーの八重山諸島での実施を要請した。
1964(昭和39)年に開催された「東京オリンピック」の聖火は、オリンピック発祥の地ギリシャのオリンピアで採火されて8月22日にアテネを出発。11カ国の中継地を経て、台風のため一日遅れの9月6日に沖縄・那覇空港に到着した。施政権がアメリカにあった当時としては、この聖火の到着が外国コースの終着でもあり、聖火の日本最初の上陸地でもあった。
翌日、聖火は那覇の奥武山陸上競技場から糸満、具志頭、富里、新里、与那原、西原と沖縄の東海岸を北上。知花、安慶名、栄野比、石川、金武、宜野座を経て、久志村(現・名護市)嘉陽へと走り続けた。聖火が1泊した嘉陽では盛大な式典が行わた。
嘉陽からは西海岸を南下。塩屋、名護、恩納、嘉手納、コザ(現・沖縄市)、普天間、首里、山川から下って国際通りを通り奥武山陸上競技場に戻った。11日午後、奥武山陸上球技場から那覇空港までの最後のリレーをして聖火は空路で沖縄を離れた。
沖縄県公文書館(沖縄県南風原町字新川、TEL 098-888-3875)が開催した「所蔵資料展『1964年 沖縄をかけぬけた成果リレー』」の資料には、「こうして247.1kmの聖火沖縄島一周が終了しました。リレー走者の数は、正走者・副走者・随走者合わせて3,473名。沖縄戦から19年後に訪れた歓喜の5日間が終わりました」(原文のまま)と記されている。
中山市長は、「1964年の東京オリンピックの際には沖縄本島からリレーが行われたが、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックではアジアの玄関口である八重山諸島でもぜひ聖火リレーを実施してほしい。実現できるよう関係機関への働き掛けをお願いしたい」と要請した。