元ひめゆり学徒隊の宮良ルリさんが講演-「平和を考える集い」で

伊原第三外科壕(現在の「ひめゆりの壕」)から生き残った学徒5人の中の1人である宮良ルリさん

伊原第三外科壕(現在の「ひめゆりの壕」)から生き残った学徒5人の中の1人である宮良ルリさん

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 八重山地区婦人連合会による「平和を考える集い」が7月26日、大川公民館(石垣市大川)で行われ、石垣市登野城出身でひめゆり学徒隊だった宮良ルリさんが講師を務めた。集いは同連合会の活動の一環として行われたもの。

 宮良さんは「わたしの『沖縄戦体験』から平和を考える」と題して講演。当時18歳だった宮良さんは沖縄県女子師範学校に在籍。沖縄戦突入により学徒動員され、南風原陸軍病院に勤務することになる。陸軍病院とはいっても壕(ごう)の中の病院で衛生的にはひどい状態だったという。「尿や血などで誰もが一度は吐いてしまうほどのすさまじい臭い。薬も満足にない状態で、包帯の交換なんて1週間に1度だけだった」と宮良さんは陸軍病院の様子を生々しく語った。初めて遭った負傷者の死についても話し、「その兵隊さんは両手を切断した人だった。手を握ってほしいと言われて、腕をにぎり声をかけた。最後には『お母さん、お母さん』と言いながら亡くなった。ほとんどの人が母を呼びながら亡くなる」と述べた。

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 その後、命令により南部に撤退した宮良さんたちは、現在の「ひめゆりの壕」へ避難。そこで解散命令が出されたが、脱出する明け方に米軍のガス爆弾を投げ込まれた。奇跡的に生き残った宮良さんは壕を脱出。さまよっている所を米軍に囲まれ捕虜となった。「その時はなぜ死ねないのかと思った。今では戦争の悲惨さを伝えるために生き残されたのだと思っている」(宮良さん)という。

 宮良さんは「今の平和は戦争によってすべてを失った代償としてあるもの。それを伝えて、残していかなければならない」と力強く訴えた。参加者は宮良さんの話に時折目頭をおさえながら聴き入っていた。

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