プレスリリース

沖縄の誇り 8つの功績 「八重山上布」の人間国宝から「オキちゃん」まで 第69回タイムス賞受賞者が決定 7月1日贈呈式

リリース発行企業:株式会社沖縄タイムス社

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 沖縄タイムス社(那覇市、代表取締役社長・瑞慶山秀彦)は、第69回(2025年度)沖縄タイムス賞の受賞者として正賞7件(4個人・3団体)、感謝状1件を決定しました。伝統文化の継承や地域社会への貢献など、沖縄の発展に寄与した個人・団体の功績を表彰するもので、7月1日(火)に那覇市おもろまちのザ・ナハテラスにて贈呈式を開催します。
贈呈式・祝賀会概要
日時: 2025年7月1日(火)午後6時30分から
会場: ザ・ナハテラス(那覇市おもろまち2-14-1)
会費: 1人7,000円
※関係各位ならびに一般の方々のご出席を歓迎いたします。


インタビューに答える古波津昇会長
【産業部門】拓伸会(拓南グループ)「製鉄、製造業振興の功績」 拓伸会(拓南グループ)は古波津昇会長の父・清昇氏が1953年8月に拓南商事を創業したのが始まり。当初は鉄くずを加工していた。56年、鉄くずを溶かして新たな鉄をつくる拓南伸鉄(現・拓南製鐵)を設立。62年、製鋼工場に沖縄初となる電気炉を導入した。
 72年の本土復帰により、日本の商品規格であるJISマークに申請して、県内第1号の認定工場の資格を取得した。77年には工場を那覇市壺川から浦添に移転。95年に中城工場に移転し、現在に至る。
 拓南製鐵の創立35周年記念事業として、県内の製造業の振興を目的に若手技術者や団体を表彰する「古波津製造業育成基金」を92年に設立。今年で33回目を迎え、製造業企業賞17件、技術功労賞37件、人材育成助成金38件の助成実績がある。
 古波津会長は「これまでの取り組みが評価されてうれしい。今後も物作りに取り組む人材を育成していきたい」と受賞を喜んだ。



 拓伸会(拓南グループ) 社是は「拓鐵興琉」で「鉄鋼業を開拓して琉球の経済発展に貢献する」を意味する。創業者の古波津清昇氏は1992年にタイムス賞(産業部門)を受賞。古波津昇会長は2019年から県工業連合会の会長を務めている。製造業の発展や人材育成に力を入れている。


インタビューに答える比嘉聰さん
【文化部門】比嘉聰さん(73)「組踊音楽太鼓」人間国宝 「心で打つ」の教え胸に 沖縄の伝統音楽で大きな位置を占める太鼓の代表的奏者として実演の第一線に立ち、後進の育成にも力を入れてきた。
 「(師匠の)島袋光史先生、(兄弟子の)喜舎場盛勝先生に続いて、この賞をいただけるのは光栄であり、恐縮なことだ」と話す。
 幼いころは芝居のチャンバラの場面が好きだったという。1971年に琉球大学郷土芸能研究クラブで三線と太鼓を始め、72年に太鼓を島袋光史師、歌三線を棚原忠徳師にそれぞれ師事し、本格的に芸能の道に進んだ。中村司さん、比嘉康春さんという盟友との活動も大きな糧になっている。
 光史流太鼓保存会会長、沖縄伝統太鼓協会会長なども務め、太鼓界の発展に尽力してきた。「若い人を太鼓の専門に引っ張るのは大変だが、最近は有望な人が増えてきた」と手応えと希望を感じている。



 ひが・さとし 1952年名護市生まれ。96年度沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞。2015年重要無形文化財「組踊」保持者(総合認定)、17年同「琉球舞踊」保持者(総合認定)、同「組踊音楽太鼓」保持者(各個認定・人間国宝)


インタビューに答える新垣幸子さん
【文化部門】新垣幸子さん(79) 「八重山上布」の人間国宝 島の風土を作品に表現 2024年に「八重山上布」が重要無形文化財に指定され、「これまで以上に創作意欲が湧いている」と笑顔で語る。地元の植物染料にこだわり、伝統的な八重山上布の技法を高度に習得して技術を高めてきた。色彩豊かな色使いで、芸術性の高い作品の数々を生み出し続けている。
 白地を基調とする八重山上布を「それが最大の魅力」と語る。琉球王国時代には白地は王府が使う色として一般には敬遠され、宮古島の藍染めが好まれていた。八重山は水が豊富なので、さらして鮮やかな色合いを生むことができたという。
 作品づくりで最大のこだわりは島の風土を表現することだという。「沖縄の絣は日本の絣。伝統を受け継ぎながら、次世代を担う人材育成にも注力したい」と目標を見据えた。




 あらかき・さちこ 1945年、石垣市出身。県工業試験場などで染織の技法を学び、73年に石垣市内で工房を開設。調査・研究を進め、途絶えかけていた御用布を制作する「括染(くりぞめ)」の技法を復活させた。24年に八重山上布で重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。


沖縄空手継承への強い思いを語る仲程力さん
【体育部門】仲程力さん(91)県指定無形文化財 空手古武術保存会会長 空手の世界普及に尽力 沖縄空手を始めて70年余り。90歳を超えた現在も毎日の鍛錬を欠かさない。「心技体を備えるため」と力みはないが、その姿は、県内外の空手家に影響を与えている。
 18歳の頃、父比嘉山三さんに沖縄空手の達人の強さを聞き、この道に進んだ。人に勝つことを優先するのではない、鍛錬を通しての心の修業に魅力を感じた。「自分自身を成長させることができる。だから長年続いている」
 1975年から50年にわたり、北米や欧州などの各国を訪ね、普及と指導に尽力してきた。鍛え抜いた体は「ポパイ」と称され、指導を請う声は絶えない。「交流は大事。平和になるから」とできる限り足を運ぶ。
 高弟の指導にも力を入れる。各流派、会派を尊重しつつ「沖縄の空手家が一致団結して保存継承に努めなければならない」と呼びかける。そのために、これからも役割を果たす決意だ。



 なかほど・つとむ 1933年、読谷村出身。上地流範士十段で、沖縄空手道協会上地流名誉会長。県空手道連合会特別顧問。2020年に県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」保持者に認定される。21年春の叙勲で旭日双光章。


インタビューに答える安里嗣則さん
【体育部門】安里嗣則さん(85)元県高校野球連盟理事長 沖縄高校野球の礎築く 米軍統治下の1958年3月、春のセンバツに招待された沖縄球児4人のうちの1人。コザ高主将としてスタンドから、早実高・王貞治選手のプレーにくぎ付けになった。招いたのは「高校野球の父」と呼ばれた故佐伯達夫氏。「沖縄は野球の指導者が不足している。君たちがなれ」。その言葉を胸に、白球一筋で生きてきた。
 日体大で学び、故栽弘義さんとタッグを組み、沖縄高校野球の底上げに心血を注いだ。沖縄は強豪県となり1990年、91年には沖縄水産が準優勝。そして99年のセンバツで、沖縄尚学が県勢初の優勝を実現した。県高野連理事長としてアルプススタンドでその瞬間を見届けると、泣きながら天を仰いで報告した。「佐伯さん、沖縄がやりましたよ」。その後も沖尚、興南が続き、沖縄は4度の全国制覇を果たす。「あと1勝し、福岡県を上回ってほしい。それを見に、また甲子園に行きたいな」と笑った。



 あさと・つぎのり 1940年、うるま市石川出身。コザ高では1番一塁手。日体大を出て64年にコザ高で指導者となり、65年にセンバツ出場、89年には石川高を率いて夏出場。県高野連では技術強化を担当し、96年から理事長を2期。定年後は沖国大監督を務めた。


石川・宮森630会の久高政治会長(下段右から3人目)と会員ら

【社会活動部門】NPO法人 石川・宮森630会 悲劇の記憶を語り継ぐ
 1959年6月30日、米軍のジェット戦闘機が石川市に墜落した。機体は衝撃ではね上がり、付近の家々を引きずりながら宮森小学校の校舎に激突した。児童を含む18人が死亡、210人が重軽傷を負った戦後最大の米軍機墜落事故。事故の経験者らが設立した石川・宮森630会はこの悲劇を風化させまいと活動を続け、今年で15年目となる。
 毎年6月30日に遺族会と共催で慰霊祭を執り行うほか、学校での平和講演会、展示会など地域に根差す活動を続ける。昨年は子どもが歌い、語り継ぐため市出身の歌手、海勢頭豊さんが事故をテーマに作詞作曲した「630の誓い」を作った。久高政治会長(77)は「活動の裾野を広げるため、地元の学生に手伝ってもらいながら漫画制作に取り組んでいる」。記憶継承に向き合い続ける決意を見せた。
 NPO法人石川・宮森630会 米軍ジェット機墜落事件を後世に語り継ごうと2008年に宮森630館設置委員会が発足。事故から50年目の09年から慰霊祭を始め、10年に石川・宮森630会を結成した。地元ボランティアを中心に活動を続ける。


毎年、慰霊の日には早朝から多くの人たちが平和の礎を訪れる

【特別賞】沖縄県 平和の礎事業 平和発信のシンボルに
 糸満市摩文仁の「平和の礎」が戦後50年の1995年に建立されて30年。当時の大田昌秀知事の構想から始まった事業だった。国籍を問わず、軍人・民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった全ての人を対象に名前を刻銘している。刻まれた約24万2500人のうち、県民は約14万9700人。建設時に県民が参加する形で全県調査が行われ、戦没者情報としてまとめられた。追加・修正の作業は現在も続けられており、毎年、追加刻銘が行われる。
 現在では国内外から年間100万人が訪れるようになった。玉城デニー知事は「刻銘された人の遺族から『ようやく家族が一つになった』『長年の夢が実現した』との声も寄せられる。多くの人の心のよりどころで、県内外の平和学習の場でもある」と話し、認知度の高まりを実感する。玉城知事は、対話による他国との緊張緩和と信頼醸成を国に求めながら「礎を平和発信のシンボルとしたい」と語った。
 平和の礎(へいわのいしじ) 「鉄の暴風」の荒波が平和の波に変わるコンセプトで、刻銘板119基が円弧状に広がる。中心の「平和の火」は沖縄戦で米軍が最初に上陸した座間味村、被爆地の広島市の「平和の灯」、長崎市の「誓いの火」からともされた。


オキちゃん

ムク

【感謝状】オキちゃんとムク(ミナミバンドウイルカ)海洋博から50年間活躍
 2頭は1975年の沖縄国際海洋博覧会のイルカショーのため、鹿児島県奄美群島からやってきた。それから50年間、オキちゃん劇場やダイバープールで累計約5千万の人々を楽しませてきた。
 オキちゃんは技を磨き続け、現在も20種類以上を披露できる。飼育員の入れ替わりや、はやり廃りでやらなくなった演技もあることから、どれだけの技ができるかは「オキのみぞ知る」だという。1999年に娘の「サミ」を出産。「ママさんイルカ」になっても第一線で活躍を続けてきた。
 人なつっこいムクは水中でショーをするダイバーショーで活躍。2頭の50年の飼育で得られた継続的な調査はミナミバンドウイルカの生態解明に大きく貢献している。沖縄美ら島財団海獣課の比嘉克さんは「2頭は50年という長くて貴重な時間を沖縄と共に歩んできた。1日でも長く、いろいろな人に感動を与え続けてほしい」と話した。
 オキちゃんとムク ミナミバンドウイルカ。同種の世界最長飼育記録を更新中。1975年の沖縄国際海洋博覧会(海洋博)のイルカショーのため奄美からやってきた。オキちゃん劇場とダイバーショーでそれぞれ現役を続けている。

これまで316件の個人や団体が受賞
 「沖縄タイムス賞」は、沖縄の政治、産業、文化、体育、社会活動、自然保護、国際的活動など各分野で著しく貢献・尽力された方々に対して贈る賞で、沖縄タイムス社創立9年目の1957年7月に創設されました。
 創刊記念日の7月1日に贈呈式が開催され、受賞者は、第69回(2025年)までに正賞274件、特別賞6件、感謝状36件、あわせて316件の個人や団体にのぼります。


沖縄タイムス社について沖縄タイムス社は、沖縄の主要新聞社として地域の文化・芸術・スポーツ・産業などの発展に寄与することを目指し、1948年に創刊。「沖縄タイムス賞」は地域社会の発展に貢献した個人・団体を表彰する制度として長年にわたり実施しています。



問い合わせ先
沖縄タイムス社事業局文化事業部
TEL: 098-860-3588(平日午前10時~午後5時)
住所: 〒900-8678 沖縄県那覇市久茂地2-2-2



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