沖縄戦でアメリカ兵が撮影した写真「うつろな目の少女」で知られる大城盛俊さんを講師に迎え、平和講演会「沖縄戦で起きた本当の話」が6月21日、石垣市民会館中ホール(石垣市浜崎町)で行われた。
同講演会は戦争の実相を正しく理解し、二度とあのような悲惨で愚かな過ちを繰り返さず、沖縄県民が身をもって体験した平和と命の尊さを語り継ごうと実施されたもの。世界平和の鐘の会沖縄支部設立20周年記念事業として、同支部と石垣市が共催した。
大城さんは旧玉城村(現在の南城市)出身で、沖縄戦を全国に訴える会会長を務めている。「うつろな目の少女」と題された自身の写真を偶然目にしてから、沖縄戦の本当の姿を伝える語り部として活動するようになった。喉頭がんで声帯を失っても発声器を使い、精力的に活動を続けている。
戦時中、大城さんは12歳。育ての親に「男子だと兵隊に連れて行かれる」という理由で、女の子の格好をさせられていたという。戦火を逃れるためにガマ(沖縄の方言で洞窟(どうくつ)の意味)で身を隠していた際、日本兵に一かけらの黒糖を奪われそうになった。抵抗した大城さんは殴る蹴るの暴行を受け、その時に殴られた右目は失明した。「殴られた後はもうろうとして、何も分からなかった」と大城さん。その後、米軍に保護された大城さんは診療所で治療を受ける。「うつろな目をした少女」はこの時に撮られたものだった。
生みの母親は大城さんとは別のガマにいた。大城さんを訪ねてきた母親は、その帰り道に日本兵にスパイと疑われ、ガマに手榴弾を投げ込まれ殺害された。大城さんは何度かハンカチで涙を拭いながら、当時の状況を生々しく語った。
大城さんは「日本兵は沖縄県民をだまして、食べ物を奪い、揚げ句に銃を向けた」と非難し、集団自決についても、「あれは自決ではない。日本兵により追い込まれて起こったもの」と訴えた。「戦争での後遺症があるが、負けていられないと頑張ってきた。命あれば、明日は明るく開ける」と大城さん。
会場には子どもから大人まで多くの市民が訪れ、大城さんの一言一言を重く受け止めていた。
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