暮らす・働く

八重山で「平和のウムイ事業」-次世代へ教訓語り継ぐ

石垣信亨さんが息子さんに戦争体験を語る

石垣信亨さんが息子さんに戦争体験を語る

  • 0

  •  

 沖縄県平和祈念資料館(糸満市)が本土復帰40周年記念事業の一つとして企画した「家族に語り継ぐ平和のウムイ事業」が実施され、八重山平和祈念館(石垣市新栄町)でもこのほど、戦争体験者への聞き取り調査が行われた。

同事業担当者らが自宅を訪問し、戦争体験者が家族に語り継ぐ場面を撮影

[広告]

 同事業は、戦後67年が経過し、語り部の喪失が危惧されている沖縄戦の個々の体験や平和への思いを共有・発信することで、戦争の教訓を次世代に伝え恒久平和の樹立に寄与することを目的とする。

 八重山では、今年1月31日まで同事業の募集を行い、30件以上の申し込みがあった。聞き取り調査は、戦争体験者である祖父母や父母が子や孫に自身の体験を語る対話形式で行い、その様子をビデオカメラで撮影。出征地も居住地もバラバラになった当時の八重山の人々が、どのように戦争を乗り越えて来たかといった貴重な体験の収集が行われた。

 撮影に参加した石垣市野底在住の石垣信亨さん(1924年=大正13年生まれ)は19歳のときに就学のため台湾に渡り、そこで戦争を体験。戦争が始まると八重山の人がたくさん台湾へ渡った状況や台湾での軍事教練の様子、戦後多くの台湾人が八重山に移り住みパイン産業を始めたことなど、戦中・戦後の台湾と八重山の関係などを語った。「今だから言えることだが、一番怖いし頼りにしているのは軍だった。軍が思う通りに島民を分散させていた」「戦争は負けるとは思わなかった」と当時の感情との相違や、戦後の八重山について「みんなかつてないほど惨めな思いをしたと思う。とにかく食料が無かったので、みんなどう生き抜くかで精いっぱいだった」と振り返った。聞き手が「平和な世の中を作り、八重山が繁栄していくには何が必要だと思うか」と問いかけると、「平和とはいつの時代でも求められる。一番大切なことは、お互いの立場を理解しながら助け合うことなのかもしれない」と語った。

 今回撮影された記録映像は県平和祈念資料館で編集され、来年度に同館で公開するほか、DVD化して県内の小中高校などに貸し出す予定。

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース