石垣市で「慰霊の日」戦没者追悼行事-平和への思い胸に

マラリア犠牲者に追悼を捧げる参列者

マラリア犠牲者に追悼を捧げる参列者

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 沖縄県は6月23日、戦後68年目の「慰霊の日」を迎え、石垣市でも戦争犠牲者を悼む追悼行事が開かれた。

本島にある「平和の礎」の八重山戦没者部分の写真掲出も

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 1945(昭和20)年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられ、県民の4人に1人にあたる20万人を超える犠牲が出た。八重山では地上戦がなかったものの、軍の作戦展開の必要性から住民が悪性マラリアの有病地域である石垣島・西表島の山間部への避難を強いられた。過酷な生活の中で多くの住民がマラリアに罹患(りかん)し、3647人が終戦前後に無念の死を遂げた。

 新栄公園内(石垣市新栄町)にある世界平和の鐘の前では、正午のサイレンとともに黙とうがささげられ、平和への祈りを込めて力強く鐘が打ち鳴らされた。

 午後からはバンナ公園内(石垣市石垣)にある八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑の前で「八重山戦争マラリア犠牲者追悼式」が、八重守之塔では「石垣市全戦没者追悼式・平和祈念式」がそれぞれ行われ、強烈な日差しが照り付ける中、多くの遺族や関係者、小中学校の代表らが参列し、犠牲者への追悼と平和への祈りを込めて献花をささげた。

 中山義隆石垣市長は「八重山ではマラリアによる生き地獄の中で多くの住民が悲惨な最期を遂げた。この悲劇を風化させぬようしっかりと語り継ぎ、恒久平和という人類共通の願いの実現に向けて、石垣市から広く訴え続けていきたい」と述べ、沖縄県遺族連合会八重山支部長の仲山忠篤さんは「戦後68年たって今なお癒やしがたき苦悩がある。このような思いを次の世代に経験させないためにも、戦争体験者であるわれわれには戦争がいかに残虐非道なものであるかしっかり伝えて行く責務がある」と恒久平和への願いを込めた。

 式典では八重山高等学校合唱部による「月桃のうた」の合唱や、石垣市が平和をテーマに募集した「平和を考える作文」で最優秀賞に選ばれた石垣第二中学校の平田こころさん、優秀賞に選ばれた石垣中学校の向井美波流さんによる作文朗読なども行われた。

 会場付近には沖縄本島摩文仁にある「平和の礎(いしじ)」に刻まれた4392人の郡内関係者部分の写真も掲出され、刻銘された肉親の名前を探す遺族の姿も見られた。

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