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石垣空港で最後のフライト-半世紀の歴史に幕下ろす

JTAの最後のフライトは南西航空時代のSWALジェット塗装機。観客とスタッフで盛大に見送った

JTAの最後のフライトは南西航空時代のSWALジェット塗装機。観客とスタッフで盛大に見送った

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 新石垣空港(南ぬ島石垣空港)開港前日となる3月6日、役目を終える石垣空港(石垣市平得)では大勢の市民や空港関係者が詰め掛け、別れを惜しむ姿が見られた。

展望デッキは最後のフライトを見送ろうとする観客ですし詰め状態に

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 1943(昭和18)年、旧日本軍海軍飛行場として建設された同空港は、1956(昭和31)年に民間航空機の運行を開始。以降、多くの観光客や地域住民を運び、八重山地方の物流拠点としても重要な役割を担ってきた。

 同日で空港機能を停止し、翌日から新空港に移転し運行を開始する。空港内では多くの住民がカメラを持って思い出の場所で撮影したり、最後のフライトを出迎えたり見送ったりするなど、あちこちでお別れのひとときを過ごす人であふれた。テレビ番組の人気ヒーロー「琉神マブヤー」や「龍神ガナシー」、新空港マスコットの「ぱいーぐる」、竹富町マスコットの「ピカリャー」も応援に駆け付け、子どもたちに囲まれていた。

 日本トランスオーシャン航空(JTA)と全日空(ANA)では、最終便の運行をスタッフ総出で見送った後、消灯式を行った。式の中で中山義隆市長は「長い間いろいろな人がこの空港で出会い、旅立った。多くの観光客を連れ、物を運ぶことで、八重山が発展することができた。これからは新空港で新たな歴史を刻むことになるが、これまでお世話になったこの空港に、さまざまな思いを込めて心から感謝の気持ちを表したい」とあいさつした。

 石垣市出身の慶田盛敦子さんは「家が空港の近所なので着陸音などうるさかったが、それがなくなると思うとうれしい反面少し寂しい」、本土から5年前に移住した今村紘樹さんは「旅立つ人をずっと見送ってきた空港なので、少し寂しい気持ち」、15年間空港職員としてカウンター業務を行ってきた盛山晃さんは「新空港では滑走路が長くなる分、多くのお客さまを運べるようになる。うれしいようで悲しいようで複雑な気持ち」とそれぞれうれしさと寂しさをにじませた。

 1982(昭和57)年のオーバーラン事故の際、観光協会に勤務していたという黒島和美さんは「事故のときはキャンペーンも減り大変だった」、夫が消防職員だった上地京子さんは「新婚当時、事故の知らせを受けた夫が飛んで行ったのを覚えている」と当時を振り返り、「これからは心配ないが、今はただこの空港に感謝の気持ち。ずっと使って来た空港なので心からありがとうと言いたい。これからは新空港が石垣の支えになるのでは」とそれぞれ新空港への期待を込めた。

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